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Roll

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Dead

苦しい、苦しいと言っていて―
例えばそれは、辛い闘病生活を送っている人だけではなく、
何度も何度も酷い目にあった女子高生であるとか、
この世やこの世の将来に対して悲観した人であるとか―、
そういう人々の中で、死にたいと言っている人がいるとする。
でも、家族は
「一秒でも長く生かしてやってください!」
などとバカみたいなことを言ってるし、
死にたいといっている人に対して
「生きてれば絶対いいことがあるから!」であったりとか、
「これを越えれば幸せが待ってるよ!」であったりとか、
根拠の無い妄想によって説得しようとしてるけど、
愚かな言動は慎め、という気分になることが多々ある。

「まだ生きたい」と思っている人に対しては別に構わない。
痛そうだとか、辛そうだとか、そういう外部からの判断によって
生きたいと思う意志を理不尽に奪い取る権利は無い筈だ。
逆に、励ますことで生への執着、ひいては闘病生活からの脱出、
これからの未来への希望に代わることになる可能性もある。
だから、その点に於いては、否定する気は毛頭無い。

だが、「死にたい」と言っている人を説得する意味が解らない。
明らかに「死ぬ」ことに対して大した意味が無い、
つまり人一人死んだところで世界は変わらないとか、
自分が死んだところで誰も悲しまないと思っている人に
死ぬことの意味の大きさを教えるのは別に構わないが、
別にそんなことは人が決めたことであり、
人によって作られ、人によって洗脳されてきた
愚行の歴史でしかない。
正しいことなんてこの世には何もない、
強いて言えば自分の決めたことこそが正しいといえばそれまでだ。
その人の正しいと思っている事柄に対して、
外部から根拠の無い理由を元にした圧力を加えるのは、
その人の考えを「正そう」としているのではなく、
「自分の考えと同じにしよう」としているだけだ。

また、苦しんでいる人は、「とにかく楽になりたい」という意思が
脳を支配しているといっても過言ではない。
そんな状況下で、「生きよう」などと思わせようとすることは
非常に愚行であるし、
この世の将来に悲観している人や、
ビデオや写真などで脅迫されている人などに於いては
また同じような悪循環に陥る可能性は非常に高い。
つまり、「辛さ」を二度も、またはそれ以上にも体感させてしまうのだ。
そんな場合に於いては、
「生きようと思わせること」はつまりその思わせようとしている人の
限りなく責任を放棄した自己満足にしか成りえないのである。

であるからして、
死にたいという思考を掻き乱し、
挙句の果てに無根拠な妄執の所為でその上に更に辛さを重ねるような事態に
追い込むようなことは絶対に避けなければならないのであり、
死を望むものには安らかに死を与えてやるべきなのである。

…とは言っても、この思考も上記したとおり「自身の考え」であるから
「正しい」と思っているのであり、
死にたいと思っている者を更生させようとするのが最良の方法だという感情を抱くのも、
それが幾ら年齢の低い頃からの道徳教育という名の洗脳が元になっているとはいえ、
「自身の考え」、つまり「正しい」考えなのである。
一般大衆の中でも多数派の考えを正しい考えとして祀り上げるのは構わないが、
それもこれも、結局は全て正しい考えであり、
それを間違いだとするのも、正しいとするのも、全て正しいのだ。

だから、全てはいたちごっこにしか成りえないのであり、
結局は選ぶことの全てが正しいことで、間違いなのだ。
その為、この文章も「一つの考え」として見て、そして自身で解釈されるべきだと、
そしてそうして使われることこそが最良であると(この考えすらも自身の考えではあるが)そう、思っている。
確かに、自身の考えに染めることが最大の望みではあるにしても、だが。


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